エスニック鈴木の略歴

エスニック鈴木です。44歳です。

ある時はスキーインストラクター、ある時は旅人、ある時はジェンベやブラジルの太鼓を叩く。1年を通して色々やっています。

今はネットで商売しようと色々勉強してます。

そのため、以前書いていたブログを復活させました。

エスニック鈴木の略歴

誕生

昭和50年(1975).09 東京にて。

サラリーマン時代 その1

平成10年(1998).04 スーツ着て働きたくないと思ってやっていた就職活動の結果、それが叶う会社と縁があり、プログラム経験ゼロにもかかわらずプログラマとして新卒で入社。研修の時点で適性はなさそうと思うも、同僚やお客さんには恵まれたせいか、8年半この会社にお世話になる。

サラリーマン時代 その2

平成18年(2006).11 人には恵まれていたが、最後の2年くらい担当したプロジェクトの長時間拘束に耐えられず、新卒で入社した会社に別れを告げる。と同時に、プログラマは向いていないと思いつつも、同じ業種の会社に入社。

平成19年(2007).01 大学時代から続けてきたスキーで大転倒、というか、宙を舞い、右肩甲骨烏口突起骨折&右肩鎖関節捻挫。手術で骨折部分を修復。手術直後は右手がほとんど上がらずかなり不便だったが、肩が上がらないままになるのでは、という不安は全くなかった。2ヶ月くらいのリハビリ後、可動範囲は怪我前より少し狭いくらいまで戻ったが、肩の痛みがなくなるまでは半年かかった。

平成19年(2007).12 右肩甲骨からボルトを抜く手術を受ける。この時は負担が軽かったので、入院中は余裕がありすぎて暇で仕方なかった。横たわって天井を眺めて「ケガや病気でいつ動けなくなるか分からんし、死んだ魚の眼をして生活している場合ではない」と思い、退院する頃には憧れだった海外放浪をしようと決意。と書くとちょっとカッコイイが、転職後の会社では全てが全く噛み合わず、ダメ社員だったことも決意できた大きい要因の1つである。実際、この数ヶ月後の上司との定期面談でそれとなく退職勧告をされた。辞めると決めてはいたものの、退職勧告を受けるというのは凹むものなんだと分かった。その反面、海外へ行く流れを後押ししてくれているな、とも思った。

平成20年(2008).06 貰えるものは貰っておこうということで、ボーナスをもらって退職。辞めるまではレールから外れる恐怖感はとてつもなく大きかったが、辞めてみると、それまでに経験したことのないような爽快感を感じ、辞めて正解だと体感した。

旅人時代

平成20年(2008).11 やってみたかった農業のバイトをした後、アラスカはアンカレッジから世界放浪を始める。放浪の舞台は主に中南米。資金は貯金と損切りした株と満期になった養老保険。合わせて250万くらいだったかな。

平成22年(2010).07 一時帰国後、台湾の澎湖(ポンフー)へ中国語の勉強をしに行く。この間、中国語の武者修行ということで、中国初上陸。この時は湖南省の武陵源(映画「アバター」の舞台らしい)と鳳凰古城へ観光しに行った。

平成22年(2010).12 帰国。ポンフーで知り合った、寮で同室だった怪しい人に「スキーやってるならスキースクール紹介するよ」と言われ、お金が底を尽きることは火を見るより明らかだったし、スキーでお金を稼ぐということも経験したかったので、お願いする事にした。そのスクールには2010-11シーズンから4シーズンお世話になった。色々経験させてもらえて、とてもありがたかった。

平成27年(2015).07 海外のスキー場で働きたいと思っていたのでカナダへ英語の勉強をしに行こうと思っていたが、働きながら学べるCOOPビザが出ず諦める。2014-15シーズンから働き始めたニセコには中華圏の人も多く来るので、英語から中国語に切り替え、再び台湾へ中国語の勉強をしに行く。この時の台湾滞在で「中国で仕入れをして日本で売る」という商いをしたことがある人と出会い、「次にやる事はこれだ!」と感じる。ちなみにここまでの5年間、スキーインストラクター、カヌーガイド、農家のバイト、飲食店のバイト、等々で生計を立てた。

平成27年(2015).11 生まれた時から生活拠点が東京なので、西日本に住んでみたいと思っていた。そんなことを考えていたら、広島県の移住政策「広島小商いメッセ」というイベントを発見。仕入れたものを売る場所を得たので、そこで初商い。屋号は雲南十九怪。このまま広島在住となるか、と思ったがならず。売り上げはまあまあ。今思えば、これは雲南十九怪プレオープンだった。

商人時代

平成28年(2016).07 麗江布専門店「雲南十九怪」オープン。ふんどしも作り始める。どうなることやら。

平成28年(2016).10 広島県民になる。

平成29年(2017).10 「雲南十九怪」から「エスニック鈴木」に屋号を変更。屋号というか、活動名とも言えるかもしれない。前の名前はとても気に入っていたが分かりにくかったので、分かりやすい名前に変更。

平成30年(2018).07 パリで開催されるJapanExpoにふんどし屋として出展。ここで燃え尽きる。

令和元年(2019).11 JapanExpo以降、売り上げが全く出なかったため、稼ぎ頭だったスキー教師での稼ぎでも補填できなくなり、ふんどし屋は店じまい。

資本家時代(駆け出し)

令和02年(2020).06 再起するためにも情報発信ができないと話にならないので、とりあえずブログを再開。純資産1億円作って人生上がるため、時間の自由とお金の自由の両立を目指す。

2020.06.10現在

タイトルとURLをコピーしました